考える浮き草

2月13日、琵琶湖畔の坂本城遺跡にて新たに出土物が発見されたとのことで、見学に行きました。
雨不足で琵琶湖の水位が下がってしまったことと関係があるのかもしれない。

地元の人によると、この辺は掘れば何か出てくるとのこと…湖というのは流れのある海に比べて、昔のものが留まりやすいのかもしれない。

「ことばを食べるカフェみずうみ」は、水面に映るもうひとりの自分と話しながら、記憶の湖底に埋まっている言葉の形をした化石「かんじクッキー」を掘り出すという物語仕立てになっているが、「かんじクッキー」と「みずうみ」は別々に出てきたもので、後から意味が通じるというのは不思議なものだ。

発掘現場からさらに水辺に進むと、水位が下がったために根が剥き出しになった葦(あし)が群れで生えていた。
「人間は考える葦である」
人間は葦のように風が吹けば向きを変え、群れないと自立することさえできない弱い生きものだけど、考えるというのは「言葉」があるということ。

言葉は実態がないのに無限だ。「全て」と言えば「全て」だし「道」と言えばあらゆる「道」を言う。少ない言葉ほど多くの意味を持ったりもする。

群れからはみ出したとき、湖に浮かぶ根なし草となって茫漠とした世界を漂うかもしれない。でもそこで、もうひとりの群れからはみ出した自分(たち)に出会えたら、無限に無限の言葉を交わし合えたら、言葉を食べて生きてけるかもしれない。そういう「みずうみ」になれたら良いなと思う。