「ガザ・モノローグ」を読んで

2025年3月28日(金)夜「ガザ・モノローグを読む」会が開かれました。
読み手:緑ファンタ
身体を置く人:酒井エル
場所:ことばを食べるカフェみずうみ
このページは会場みずうみによる記憶を書き残したものです。
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ファンタさんが読んでくれた「ガザ・モノローグ」には、戦争中のガザの市民の日常が書かれていた。
死体が道に転がっている。食べものがない。泥のケーキでバースデーを祝う、子どもたちの叫び声で目を覚ます。
“戦争はいずれ終わるだろうが、私たちの中では終わることはないだろう。”
(人間は弱くて、いつも何かに怯えている。そのため集団になって他者を傷つけたり排除したりする。この恐怖は弱さは何なんだろう?子どもの叫び声が連鎖するように、恐怖が恐怖を生む。)
ガザでは死が近過ぎて、日本では遠過ぎて、リアリティがない。
「ガザ・モノローグ」は、死が近いことによって鮮明になる身近な人の大切さや日常のきらめきを感じる文だった。
後半に読まれた戯曲では、死者同士の死後の会話劇がコミカルに描かれていた。死が日常になってしまった日常に、死を題材にした娯楽が生まれるという現実。
読み手のファンタさんは、自分を排してそれを読む(伝える)。そのあとそこに居るみんなで声を出して読む。
カフェみずうみは「声」のクッキーをお茶と一緒にみなさんに食べてもらった。リアルな声がそれぞれ自分の中に入ってきますように。始めからこの文字しか思い浮かばなかった。


身体のエルさんは窓の外に身を置いて、少し遠ざかってぼやけたり、近づいたり、白いシルエットは幽霊のようで、近づいてくる死のようだった。
自分を空にして”そこ”の言葉を声にしてみる。そしてぼやけたシルエットの手が窓を開けて中に入ってきた時、”それ”は別の世界で起こっていることではなく、今ここと地続きのことであるということにやっと気がついた。

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沢山の方にお越しいただき、ありがとうございました。
頂いた参加費の一部はアシュタール劇場の呼びかけに応え、寄付されました。


ガザ・モノローグについてーアシュタール劇場
https://gazamonologues-jp.com