2025年ふりかえり記

2025年は、毎月(自分的には)山場があって、京都に来てから三年経って、これまでで一番よく活動した一年でした…月毎に簡単に振り返ってみます。2026年になってから一気に振り返ったもので、全ては書いておらずこれまでの投稿などに詳細を書いてるものもあり、またですますだったりそうでなかったり混じってますが、この一年どういう考えでどんなことをしてきたのかざっと振り返り、すべてこれからに繋がるもので、今だから詳細に思い起こされる部分もありましたので、よかったら読んでみてください。

【1月、舞台芸術プロデュース講座受講修了】

京都は大阪と比べて、芸術全般に対してもそうだけど特に身体表現や舞台芸術に厚い。京都芸術センターの取り組みや毎年10月に開催される京都国際舞台芸術祭KYOTO EXPERIMENTの存在が大きいと思うが、その関連で講座が開かれていたので受講させてもらった。

訪れた人が水面に映る「みずうみ」は、ひとりひとりのためのシアターという側面があり、私はその中で色んな人のもうひとりの自分を静かに演っているという見立てで、マイクロシアターとしての「みずうみ」を体現してみたいという思いが明確になった。

【2月、演劇WS「あした帰った」に参加】

去年気になっていた伊藤拓也さんが演出する「あした帰った」の公演「シリーズ:集まりを開く」は、観客が出演者と共に出演するタイプの演劇らしくない演劇で、ちょうど次の公演のWS参加者募集の期間だったので、参加してみることにした。

今回のテーマは「人を支えることを考える練習」。ふだん福祉の仕事をしている演出家の伊藤さんの元に集まるメンバーも福祉に関わる人が多かった。

フィールドワークで京都福祉まつりに参加し、自分にとっての福祉感を言葉にしてみた。
https://note.com/ashita_kaetta/n/n6986e196507a

水面に映るもうひとりの自分と話し、忘れていた自分(の言葉と身体)を取り戻す「みずうみ」には福祉的側面もあるかもしれない。

(↓上演は7月、高槻城公園芸術文化劇場にて)
伊藤さんは台詞を用意せずそれぞれ当事者を演じるというつくりで、私はカフェみずうみとして出演することになった。

冒頭から観客がカフェ形式の飲食やテーブルトークを楽しめるという、やはり型破りな公演となったが、カフェとしての、また一冊の本ー物語の枠としての「みずうみ」のイントロダクションを高槻の劇場で上演することができた。

ワークショップ参加者のうろこさんが書いた参加者それぞれの肖像のような文章が良くて、途中からカフェをうろこさんに任せ冊子づくりに夢中になっていた。薄青の表紙は中身に印刷されたタイトルを見せるようにカットし、読む人が少し映る鏡のような透明シールを貼った。中綴じのホッチキスがうまく留まらず、当事者演劇のまとまらなさの喩えとして折るだけで留めないことにした。

【3月、京都芸術センター25周年プレお祭り出店】

京都芸術センターが開設25周年ということで、そのプレイベントとしてアーティスト・コレクティブ「スローイング・スパゲッティ」が25年後にまたここで会う約束をするというテーマでお祭りを開くのに、飲食出店としてカフェみずうみを呼んでくれた。

テーマにちなんで「時」を食べるクッキーと2025年から前後25年の「時」を書けるZINE(25年後に持参推奨)を出品。

スローイング・スパゲッティは祭り当日も自分たちのあり方について公開話し合いを行い、祭り終了と同時に事実上解散(したらしい)。

それぞれの道をゆく3月、私は焼かずに持っていたむにゃむにゃのクッキー生地(好物)を食べながら流れる時に流されていた。2050年、またここに集まれるのだろうか?

【4月、びわ湖畔での「みずうみプラン」始まる】

元々は地元である大阪で「みずうみ」という場所をやっていた(本当の元々は実家の一階を開いたのが始まり)が、名前が縁を呼ぶのか、コロナ禍2022年に京都に引っ越すその前に、びわ湖を臨む大津にて友人何人かと家を借り、シェア暮らしをしていた。

平日の湖畔にはほとんど誰もいなくて、波もない。Mother Lake と書かれた大きな船が台所をうろうろするお母さんのように行ったり来たり。家族とは疎遠になって帰るところがない私はこの風景に懐かしさを覚えた。

湖では囲われた環境で独自の生物が育つ。この湖畔がアーティストたちのインスピレーションを養ったりゆったり憩える場所になればいいなと思い、「みずうみプラン」を構想した。一気に沢山の人やお金を集めるのではなく、ゆるやかに少しずつそうなっていくといい。いつか船を拠点にしたいという夢も。

みずうみプランのための毎日変わる湖をみるフライヤー

【5月、「記憶異世界芸術祭」出展@大津】

そんな感じで京都と大津を行き来していると、アーティスト個人が主催するという芸術祭に誘われた。

カフェみずうみの「言葉のクッキー」は湖の底にある記憶の地層に眠っている言葉の形をした化石としている。それが芸術祭のテーマに合うということで。

本物の湖の近くで、砂に埋まった言葉の化石の発掘をみなさんに体験してもらった。

びわ湖の周辺には実際に沢山の遺物が埋まっていて、掘ればゴロゴロ出てくるという話を聞いた。またびわ湖の底には古代の土器がそのままの形でゴロゴロ転がっているとも聞いた。

本物の湖の底に行ってみたい。(ひとまずウナギイヌのように水際に小屋を立て半分水に浸かって暮らしてみたい。)そんなわけで今年も大津と京都を行ったり来たりしそう。

【6月、「九条湯」で毎週火曜カフェを始める】

京都の元銭湯「九条湯」の存在は京都に引っ越す前後から知っていたが、ひさしぶりに毎月26(ふろ)の日に開かれているという交流会に参加してみると、火曜日の昼間空いてるのでカフェしますか?というお話があり、即「やります」と返した。

「人を支えることを考える練習」を通して、自分の中にあったケアの感覚を形にするかのように、九条湯では「そのままのわたしでいいカフェみずうみ」というタイトルで、ひきこもりの当事者支援の人たちと共に、居場所的カフェを開く流れになった。お風呂はそのままの自分を癒す場所。そのまま眠れるような安らぎの場にしていきたい。

また銭湯だから天井がホール型になっていて響きが良いため、楽器の練習にも使ってもらうことにした。憧れの生演奏カフェが実現したようで嬉しい。練習だから少したどたどしい時もあってそれもまた味があって良い。平昼平チル。

【7月、SW/AC「なにでもないもん」読書会お菓子提供@HAPS HOUSE】

SW/AC が制作に関わった絵本「なにでもないもん」の読書会にお呼びいただき、言葉のクッキーを提供させていただきました。

夏休みの始まりみたいな日に、声を出して絵本を読み合い「なにでもない」自分がみつけた言葉を食べて、それぞれの思いを語り合った読書会。

男女の区別だけではなく、さまざまな種別・所属からの差別を取り払い、ひとりひとりただの生きものとして「なにでもないもん」と言い続けて、自分の感覚で世界を味わってずっと生きていきたいと改めて思いました。

【8月、レジデンスプロジェクト始動、および「ツキミソウ」オープンスタジオ参加 】

カフェみずうみ併設ギャラリー「モナド・コンテンポラリー」では、海外のアーティストと日本のアーティストの組み合わせで展示をすることが多く、遠方から来るアーティストのための滞在制作(レジデンス)環境づくりが始まりました。

同時に京都岡崎で長くレジデンスを営んでいる「AIR福寿創」タカさんに色々と教わっているうちに、福寿創主催のオープンスタジオ「ツキミソウ」にカフェみずうみ出展の機会をいただきました。

風情のある京町家の敷居を取り払った1フロアに国内外さまざまなアーティストの作品・パフォーマンス・ワークショップが展開される月一のオープンスタジオ。空間と作品と人の出会いが、また新しい機会とインスピレーションを生み出す。これをずっと続けている揺るぎない大らかさあたたかさ、それだけではない何か、見習いたい。

今年は国内外遠方からのレジデンスの受け入れ、また受け入れてもらえるような、交換レジデンスもできたらいいなと思います。

英会話は聞くのはだいたい分かるが、自分が話すのはまだたどたどしいので、慣れていきたい。

【9月、「水の芸術祭」出展@貝塚】

大阪・貝塚市で初開催の「水の芸術祭」に出展。2つの川が流れ込み、水と水が出会う水間門前町。川の源流の水を受け取り、訪れる人の話を聞いて言葉の飲みものを提供するカフェを開いた。

芸術祭への出展およびレジデンスに興味を持ち出して、貝塚市は少し遠方で期間は5日間、通えないことはないが打診してみると、展示場所の古民家で滞在させていただけることになった。土壇場で運ばれた布団、作品と共に眠る。空の写真が落ちてくる早朝、町内アナウンスが流れてきて公民館でモーニングをやってるとのことで早起きしてくねくね山道を登る。

何もなさそうだけど夜に町内をウロウロしていたら、夜喫茶が開いていて、そこは地元に住む兄弟の弟さんが運営している喫茶店で、町内や芸術祭の運営の方々が夜な夜な集まって息抜きしているようだった。不意に賑やかなだんじりの練習が通り過ぎる。

私も話に混ぜてもらうと、弟さんのお兄さんも実は料理人とのことで、運営の人たちのために芸術祭の期間中ごはんを作ってるのでお昼ごはん食べにおいでと誘ってもらう。翌日、兄弟の家を訪ねると入口は開け放たれ、誰もいなかったが、本当に色とりどりのおかずと炊飯器の温かいごはんが用意されていた。誰もいない台所で、ひとり手を合わせて豪華なごはんをいただく。

最終日を前に、水間寺の裏ー2つの川が出会う場所で水の音を聴く作品を体験、水の会話を聞いた気がした。そのあとひとりで水間鉄道に乗り少し離れた温泉に浸かって、延々と歩いた帰り道の星空がきれいだったこと…いつか夢の中で見たような闇に眠るレストランやビニールハウスやアパート、住んだことないのになぜか懐かしくて心が洗われる…去年「原始感覚美術祭」に出展した時もそうだけど、地方の町で開かれる芸術祭ってちょっとファンタジックで、小さな映画の中に入って出てきたような趣きがあり、最後はいつもセンチメンタルになる。旅先で夢の中でみたことのある風景と出会うような感じ…あの気前のいい町の人たちも本当にいたのかどうだかとか…今年はまたどこかで滞在できるだろうか。

水間門前町の入口、水間観音駅

【10月、「あした帰った」演劇再演@カフェみずうみ】

2月から毎週火曜日の夜に練習し、7月に大阪高槻で上演された「人を支えることを考える練習」を、KYOTO EXPERIMENT のフリンジ企画として、カフェみずうみにて再演。

高槻の時は「人」クッキーを作ったけど、より人と人とが支えあうイメージでもう一本線を足した立体的な「人」クッキーを作った。

3本になるとしっかり立つかと思いきや、焼くまでの間に重力に耐えられずクニャ〜となり、地べたを這う生きもののような形になった。支えるとか支えられるって現実にはこんな感じかも…

他の出演者の幕も演劇らしい演劇ではなく、ぶつぶつと呟くようなシーンも多く、生きづらい中でなんとか生きていくための呪文の練習をしているように思えた。

みずうみは、水面に映るもうひとりの自分と出会うひとりひとりのための地下シアターと謳っていながら、どう展開したものかと考えあぐねていたが、あした帰ったの演劇WSに参加したことで、想定以上の形でカフェみずうみ現地でカフェみずうみを上演することができた。しかし日常的にシアターであるにはどうしたらいいか、謳っているのはみずうみというシアターで、訪れる人の上演をしたいんだということで、これから演劇・シアターについてはまだ模索が続きそうです。

【11月、「KITAKAGAYA FLEA」出店、および「寄せ集めの食卓」】

去年に引き続き、京都の小さな出版社「キョートット出版」さんにお誘いいただき、KITAKAGAYA FLEA ASIA BOOK MARKET に言葉のクッキーを出品させてもらいました。

沢山の本の他にライブやグッズや飲食もひと味違う出店が沢山あり、文化がぎゅうぎゅうに詰まったフェスティバル。街とは濃度が違いどこか別の惑星にいるよう。(酸欠になってそうな人もいそう。)

キョートットさんと隣のブースとの谷間に流れる小川(←)のように水色の布を引かせてもらい、文庫本に綴じた言葉のクッキーを並べた。

キョートット出版さんは「ホームレス文化」を出版したばかりで、著者の小川てつオさんと汽水空港店主モリテツヤさんのトークも開かれ、権力を持つことへの危機感が語られた。

てつオさんは東京でずっと意志を持ちながらホームレス暮らしをしている。(直接お話しさせてもらった時の「だって働きたくないんだもん」という率直な発言が印象的だった。)その日々の暮らし、周りの人たちとの関わりを綴った日記を一冊にまとめた「ホームレス文化」。

私も血縁とは疎遠で家族もおらず、ダンシャリアンというかまあまあミニマリストで(テントで暮らせるかどうかはわからないが)湖畔(MotherLakeのもと)でシンプルかつ楽しい暮らしをすることを夢見ている。みずうみプランでそういうことにもだんだん近づいていけたらと思う。

またACK Night Out のイベントとして、どうなるかわからない世界で生きていくための練習として、各々食材を持ち寄り、それらを欠片に切り分け、新しく組み合わせた食べものに名前を付けて食べる「寄せ集めの食卓」を開きました。国籍も性別も年齢もバラバラの人たちが集まって一緒に食べて話す、寄せ集めの家族、これからの新しい生活のあり方ってどんなものだろうかと考えている。

【12月、「天国にいちばん近い年末」@九条湯】

誰もが生きづらさを抱える世の中で、眠ってしまえるくらい安らかな場を開きたい。死んでから安らかになるのでなく、この現実で安らかに生きていきたい。そのプロローグとして眠れる年末の居場所を開く。

京都の元銭湯「九条湯」で、6月から半年間毎週火曜の昼間にカフェをしていたまとめのような形で、年末に場を開きました。

共同企画のいのうえさんに、かつてみずうみを開いていた大阪・谷町六丁目からも出店者を呼んでもらうと、大阪からもお客さんが来てくれ、過去と未来が入り混じるような不思議と年末らしい年末になった。漫画家のおかゆさんにメインイメージをビジュアル化してもらう。中央に眠ってる人のイラスト、ファミコンの画面に出てくる文字のようなフォントを使ったからか、「〇〇の憂鬱な一日」みたいなタイトルが付いてそうなノベルゲームや(実はやったことないけど)「MOTHER 2」みたいなRPGをプレイするみたいなイメージが浮かんだ。

九条湯でのカフェみずうみは、銭湯にみずうみが入ってぬるま湯に浸かるようなイメージがある。戦ってレベルを上げて頂点を目指すようなRPGでなく、一見退屈そうな日常をぐるぐる回りふとした瞬間にきらめきを見つけるような世界観に憧れがあり、現実に映しこめたらいいなという思いがある。戦闘ではなく銭湯。

やすらぎ会館みたいなイメージで眠りのアナウンスをして、かねてからやってみたかった”同じ場所で同じ時間に眠ったとき、わたしたちは同じ夢を共有できるのでしょうか?”という問いを投げかけることができました。みなさん一緒に眠ってくれて、ありがとうございました。

「ことばを食べるカフェ」以外にも、これからもこういった場やあり方を企画・実施していきたいと思う。

2025年は本当によく動いたなあ、基本的にはマイナーですが、演劇は形になったし、色んな所で出店出展させてもらい、レジデンスも受け入れ受け入れられ、ずっとやりたかったことのいくつかを実現し、京都にも馴染んできました。

みずうみって何?と聞かれても、ふつうのカフェとは言えず…「アートとしての飲食及び場づくり、コミュニケーション」がしたいのだと思います。

(それは表現のための場づくりでもありますが、どちらかと言うと表現としての飲食・場づくりなのかなと…でも私の中身はほぼありませんから、半分エアー(言葉だけ)で「みずうみ」という器をその場に合わせてインストールし、あとはそこにいる人たちに乗っ取られるような感じでいいのかなと(自分はソフトウェアとしての器で、中身というか実質のエネルギーみたいなのあまりないなという感覚があります)…そしてそこで(なくなってはまた現れるオルタナティブな)飲食とかりそめの話をみなさんと楽しみたいです。)

興味をもったり関わっていただいた皆さま、ありがとうございます。みずうみの水面に何かが映るように、ひとりひとりひとつひとつに関わらせてもらうことでやっとそこに存在できるということが分かってきました。

書いたこととはまた、まだまだ変わっていきそうですが、これからもどうぞよろしくお願いします…!

2026年2月3日 みずうみ