地の果て「イーハトーブ」から音列車に乗って、湖の底の「ことばを食べる読書会」へ
「イーハトーブ」とは宮沢賢治の造語で、心象世界にある理想郷(ユートピア)を指す言葉だそうです。
2月3日夜、日本電子音楽協主催「イーハトーブの電子音楽物語」という公演を観に行きました。
(アートひかり演出および出演)
https://jsem.sakura.ne.jp/jsemwp/?page_id=2064
幾つものスピーカーに囲まれた劇場で、耳馴染みのある宮沢賢治の物語たちを、電子音楽での表現をメインに、朗読劇を挟みながら展開させるという新しい試みでした。
シアターで全方向から音に包まれていると、電子音楽ですがリアルに聴く音よりもリアルに感じられました。
舞台のセットが良くて、黒板に公演のタイトル、闇のカーテンを開くと窓からはみ出しそうな満月、横長いテーブルの上には食べものがのっていない丸いお皿とナイフとフォーク、テーブルの下にはぎっしり地面からから生えているであろう草花。
感覚の錯覚が起きやすい環境なのか、音に合わせて月が鼓動しているようにも見え、
音の洪水に流されて引力の強い月に向かって走る列車に乗っているようで、間間にはさまれる朗読劇がちょうど停車駅のようで、客席は動いてないのですが列車旅に出ているような舞台でした。
空虚なお皿に乗るのは、賢治が生み出した透明で色褪せない美しいフレーズと物語たち。
舞台冒頭の引用文
ーわたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりませんー 宮沢賢治
これからどれだけ自然が宇宙に広がっても、文化が洗練されても、食べものがもしなくなっても、私たちは言葉を食べて生きていけるかもしれないと思った。
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地の果てにある理想郷イーハトーブの列車旅から翌日は、もうひとりの自分が眠る湖の底で「ことばを食べる読書会」に参加。
本を読んで書いて話して、言葉を食べる読書会。
私が読むのに選んだ本は「土呂で、わたしは考えた。」/本原令子さん著。
これを一部読んで書いた文は、
「作れるものは何でも自分で作る。古代の人たちはどういう生活をしていたんだろう?つるりとした湖を前にわたしは考えた。みんなが食べられる分の食べものがなくなってしまうかもしれない。それでも人と言葉を交わして時間が考えが深まり心が豊かになることがある満足することがある。わたしたちは言葉を食べて生きていけるのではないだろうか」
やはり、こういう考えに行き着いてしまう。
土呂は遺跡で有名だが「予祝」の場もあるという。予祝とは、未来の姿を先に喜び、祝ってしまうことで現実を引き寄せること。
「言祝ぎ」というように、言葉は予祝なのかもしれない。「みずうみ」というカフェの名が本物の湖へと引き寄せる。実際にカフェみずうみは大阪で始まって、京都を経由して琵琶湖の上でも展開することになった。京都には琵琶湖からの疏水が流れている。
湖の底の、記憶の地層に眠っている言葉の形をした化石を掘り出して、声に出して世界を呼ぶ。
2月4日立春、読書会のみんなで食べた言葉は「春」。